戦国の石見を探る……邑南町の城跡や史跡を紹介
かつて石見町(現:邑南町)に存在する城について、調べたことがありました。
城と言っても、姫路城や大阪城のような石垣が組まれ天守閣を持つような壮大なものではなく、邑智郡に存在する城跡のほとんどが中世豪族の館跡や砦のようなもので、期待するほど凄いものではありません。しかし、それら城跡を通して、鎌倉から戦国時代にかけて戦乱の耐えなかった石見の歴史について、記したいと思います。
忙しいので、更新のスピードは極めて遅いです。また新たな調査情報が入れば、その都度文章を書き改めていますので、あらかじめご了解ください。
※更新情報 奇跡の発見・仮屋の銅鐸出土地(2011.8)/余勢城に「西隆寺とドウショウ坂」を追加(2010.10)/小倉宮の滞在伝説がある「院の馬場」を追加 太田道灌の子孫が移り住んだ石見を追加 日和城写真集(その2)を追加(2010.8)/矢上鉱山と原山監視所を追加(2010.6)/琵琶甲城(矢羽城)写真集を追加 邑南町の廃村「今原」と長円寺跡を追加 久喜・大林銀山跡を追加(2010.4)/東屋城写真集を追加 口羽通良の墓と宝物が眠る宗林寺を追加 石州街道の石畳を追加(2010.3)
邑南町の城跡 Contents
![]() 雲井城跡 |
邑南町矢上地区の城跡
邑南町中野地区の城跡
邑南町日貫・日和地区の城跡
邑南町井原地区の城跡
旧 瑞穂町の城跡一覧
旧 羽須美村の城跡一覧
番外編 川本町の城(温湯城・丸山城)
史跡訪問日記・覚え書き
多胡家家訓
参考図書・リンク集 管理人紹介・問い合せ
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おまけ2:邑南町のオススメ品!
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邑南町(旧:石見町)の城跡:一覧
| 城名 | 所在地 | 城主 |
| 雲井城 | 邑南町 井原 天蔵寺原 | 井原氏→小笠原氏 |
| 平城 | 邑南町 井原 普明司 | 井原丹後守 |
| 稲積城 | 邑南町 井原 西野原 | 稲光内蔵亮 |
| 余勢城 | 邑南町 中野 河原城 | 多胡氏 |
| 源太ヶ城 | 邑南町 中野 町 | 中村康之 |
| 東明寺城 | 邑南町 中野 片田 | 吉川元春 |
| 牛ノ市城 | 邑南町 中野 牛ノ市 | 小林房辰 |
| 別所城 | 邑南町 中野 別所 | 多胡氏(別所宗晴?) |
| 郡山城 | 邑南町 矢上 郡山 | 矢上氏 |
| 熊ヶ峠城 | 邑南町 矢上 森脇谷 | 三宅氏 |
| 日原城 | 邑南町 矢上 | 日原法橋 |
| 東屋城 | 邑南町 日貫 町中央 | 領家玉光 |
| 丸山城 | 邑南町 日貫 鉄穴原 | 領家氏 |
| 土居城 | 邑南町 日貫 福原 | 森田対馬守 |
| 土床城 | 邑南町 日貫 有安 | 土床庄右衛門 |
| 大の田城 | 邑南町 日貫 青笹 | (福屋氏) |
| 杭ヶ打城 | 邑南町 日貫 川下 | 杭ヶ打彦右衛門 |
| 日和城 | 邑南町 日和 大釜谷 | 大庭氏→小笠原氏(寺本伊賀守) |
| 吉川陣所跡 | 邑南町 日和 大釜谷 | 吉川元春 |
| 城ヶ前城 | 邑南町 日和 |
戦国の邑南町(旧:石見町) 概要
![]() 郡山城跡 |
八世紀の律令制時代には、邑智郡は「邑智五郷」が置かれ、井原・中野・矢上は邑美郷、日貫・日和は桜井郷にそれぞれ属しました。その邑智五郷の中心が矢上郡山にあったようで、その郡庁がそのまま郡山城になったという推測もあります。
源平の争乱後、鎌倉時代に入ると、石見国司の益田氏の勢力が拡大し、益田氏から分かれた福屋氏が、日貫・日和・矢上・中野を支配地とし、熊ケ峠城に代官を置いたようです。また井原は、出羽二ツ山城の富永氏(出羽氏)の支配下として雲井城の井原氏が治めていました。
元寇後、川本周辺に移り来た小笠原氏が勢力を拡大します。
南北朝時代には、福屋氏は南朝方に属しますが、興国2年の雲月作戦で邑智氏や日貫の領家氏が破れたことにより大きく後退。矢上に三宅氏が入り、また小笠原氏が井原や日和を支配下に入れました。
それからしばらく、福屋氏と小笠原氏の小競り合いが続き、矢上の三宅氏は福屋氏に従います。
1467年に勃発した応仁の乱では、福屋氏は西軍に味方し、田所本城の高橋氏は東軍に味方し、その境界では緊張が走ります。井原の雲井城周辺に出城が築かれたのもこの頃ですし、また多胡氏が中野余勢城に入ったのも同時期でした。
余勢城跡 |
戦国初期には、出雲の尼子氏が勢力を得て、また本城高橋氏を討った毛利元就が田所まで進出。尼子氏方の小笠原氏を攻略すべく、吉川元春により井原雲井城は落城。続いて小笠原氏重臣の寺本氏が籠る日和城も攻略。永禄2年には川本温湯城は落ち、小笠原氏は毛利に従います。
福屋氏はこの戦いに毛利に味方していましたが、後に反旗を翻し、永禄4年には吉川元春により中野余勢城が攻撃を受けて激戦となりますが落城。やがて福屋氏の本拠地である跡市乙明城も落城し、福屋氏は京都三好氏を頼って落ち延びます。
これにより石見町一帯は毛利氏が治めることとなり、江戸時代を迎えます。
ちなみに幕藩体制では、日貫は津和野藩の亀井氏、矢上・中野・井原・日和は浜田藩の松平氏に属しました。幕末の長州征伐の際、矢上など浜田藩領からは多くの徴兵がありましたが、津和野藩は長州に内応したため、日貫の住民は戦闘に加わる事は無かったということです。
●邑南町の史跡訪問日記・一覧
◆小倉宮の滞在伝説がある後原の「院の馬場」
◆太田道灌の子孫が移り住んだ地・矢上
◆邑南町(旧石見町)の廃村「今原」と長円寺跡
◆口羽通良の墓と宝物が眠る宗林寺
◆久喜・大林銀山跡…今、邑南町で最も熱い歴史スポット
◆石州街道の石畳が残る市木・小武家城地区
◆日本城郭体系にある旧羽須美村「青野城」の謎
◆邑南町(旧石見町)の廃村「八幡」「牛ノ市」
◆佐々木高綱の黄櫨匂威大鎧残闕が眠る甘南備寺
◆川本・温湯城の登城 覚え書き
◆高橋興光の切腹の地・軍原キャンプ場と、高橋盛光の墓
◆口羽通良が創建の「西蓮寺」 山門は「石見三門」の一つ
◆津和野藩と邑南町の意外な関係
◆『多胡左衛門尉辰敬』の著者・笠森惣市氏
◆日貫青笹上地区と鳴滝
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余勢城跡