戦国の石見を探る……邑南町の城跡や史跡を紹介

島根県邑南町(旧 石見町、瑞穂町、羽須美村)の城跡や史跡・遺跡を紹介しています  

管理人の覚え書き

 ここでは、当サイト管理人の城跡訪問の余談や、覚え書きなどを記しています。

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◆日本城郭体系・羽須美村の「青野城」の謎

 日本城郭体系の「島根・鳥取」版には、邑南町に存在する数々の城跡が紹介されていますが、中でも旧羽須美村上田江平にあるという「青野城」が掲載されています。

 しかし、この青野城には謎が多い。

 そもそも「石見の城館跡」にも城郭データーベースにも掲載されておらず、以前から「何なんだろう」と思っていました。

旧羽須美村上田
旧羽須美村 上田江平地区(南より撮影:Google Map

 城郭体系の文章を引用してみましょう。

 青野城は羽須美村上田の江平地区の、江の川から少し離れてはいるが江の川に面している小さな山にあった山城で、麓には古城屋敷と呼ばれる館跡が明確に残っている。『石見誌』は青野城主を三吉氏の氏族の粟屋友梅としているが、阿須那の高橋氏の備後進出のための前進基地として築かれたものとみるほうが妥当と思われる。当城を「あおや」と呼ぶ呼称もある。
 なお、当城の西南約1キロの地点には妙見城があったが、青野・妙見両城の中間にも大きな屋敷があったといわれ、いまも「殿畑」と呼ばれる畑が残っている。かつてその畑から漆で経文を書いた石が出土したと伝えられている。(212ページ)

 この文章しか資料がなく、青野城の正確な位置は全く分からないので「殿畑」と「古城屋敷」から類推するしかないのですが、「石見の城館跡」を参考に上田地区に出向いて古老の話を聞いたりしたところ、確かに「殿畑」を知っている方はおられました。
 しかし、「青野城」の存在については、地元の人も知らないようです。

殿畑屋敷跡
殿畑付近

 殿畑の場所は、急な尾根を切り開いた場所で「大きな屋敷があった」とはとても言えそうもない感じではありますが・・・。

 そもそも、三吉の粟屋友梅がこの地に城を築ける筈がないように思います。青野城の根拠は『石見誌』なのですが、おそらく広島県三次市にある「加井妻城(別名:青屋城)」と取り間違えているのではないかと思われます。

青野城

 では、実際はどうなのでしょうか。

 このことについて、地元の歴史研究をされている方に直接問い合わせを致しました。

 その方は、島根県の依頼を受けて県内の山城を調査された方で、考古学を専門にされているのですが、青野城があったと言われる場所には削平地などの明確な遺構は認められないそうです。

 ただ、尾根からかなり下がった場所に尾根を削り込んだ小平地が認められるものの、城郭体系にある「殿畑屋敷」の可能性もあり、確実に屋敷跡といえる根拠もなく、合わせて妙見城についても随分調査したものの城跡らしき遺構は見当たらなかった、とのことでした。

 つまり結論は、青野城という城は築かれていないのだろう、ということです。
 ただ、南北朝期の戦闘の場合は、明確な遺構を持つ城が築かれない場合もあるので、自然地形のまま、この場所に陣が敷かれて使われた可能性は否定できません。それが伝承として「城跡」とされたのかもしれません。

 まあ『石見誌』も、普通に読んでいても疑問な点が多々ありますから何とも言えませんが、少なくとも日本城郭体系にある「青野城」は、「幻の城」と言えそうです。

 

(2010年8月)

 

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