戦国の石見を探る……邑南町の城跡や史跡を紹介

島根県邑南町(旧 石見町、瑞穂町、羽須美村)の城跡や史跡・遺跡を紹介しています  

管理人の覚え書き

 ここでは、当サイト管理人の城跡訪問の余談や、覚え書きなどを記しています。

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◆石見三門の一つ「西蓮寺」は口羽通良が創建

 邑南町羽須美地区の阿須那まで来たら、ひとつ立ち寄っておきたい場所があります。

 西蓮寺です。


西蓮寺全景

 阿須那から細い山道をひたすら登っていくと見えてくるのが細貝地区。
 その中心とも言うべき西蓮寺は、こんな山奥に存在するとは思えないほど、歴史マニアの心をくすぐるスポットです。

西蓮寺本堂
西蓮寺本堂

 寺院前にある看板から、由緒を引用してみましょう。

由緒
 永禄3年(1560)下口羽の琵琶甲城主(初代)口羽下野守通良が創建。真言宗 観世音院 西蓮寺と号した。  天正4年(1576)石山合戦の最中、口羽守通は毛利氏の大将としてよく奮戦して織田水軍を破り、石山本願寺へ数百艘の船をもって兵糧武器等を送り届けた。浄土真宗十一世宗主 顕如上人の御感あさからず。その縁あって通良は、以来顕如宗主に深く帰依して、翌年、元可(三男)へ泉秀と法名を賜り、この寺の住職とした。
 爾来、浄土真宗に改宗、寺領の寄進も受け、江戸時代には浜田藩の菩提寺、徳川家の位牌所の一つにもなり、石見、安芸、備後に多くの門徒を持っている。

楼門(山門)
 弘化三年(1846)起工、嘉永元年(1848)上棟。棟梁は、旭町「和田の匠」と呼ばれた名工、長山喜一郎で、その傑作として石見三門の一つにあげられている。
 桁行8.3メートル、梁行4.4メートル、棟高11メートル、瓦葺二階建て、入母屋造り。
 一切金釘を使用せず、扇や庇、上欄等一ブ未完成の部分もあるが、素木の総欅造りである。階下に六頭の竜、四対の獅子、鶴と雲が十二、花に極楽鳥、正面に雲竜、階上には竜、獅子、鶴等、華麗な彫刻で飾られている。

由緒

 

西蓮寺山門
西蓮寺山門


 さすがに石見三門の一つと言われるだけあり、豪華な造りです。

 ……ですが、なにやらスカスカな感じもします。

西蓮寺山門

 聞くところによると、門の建立に予算が足らなかったそうで、未完成なんだとか。

 ちなみに、石見三門の残り二つは、浜田市旭町の正蓮寺山門と、邑南町市木の浄泉寺山門 。
 つまり、邑南町には三門のうちの二つも存在する訳です。

浄泉寺山門
市木・浄泉寺山門

正蓮寺山門
旭町・正蓮寺山門

 

【追記】「細貝姓」と「浜田藩」の関係

 先祖に「細貝」の姓を持ち、毛利に仕えた石山本願寺ゆかりの武将であったという伝承を受け継ぐ方からメールをいただきました。
 その方が、この西蓮寺へ赴かれ、色々と調べられたことを教えていただきました。

 ご本人の了解をいただき、その興味深い内容を記したメールを紹介いたします。

 (以下、引用)============

 どうやら聞けば「細貝」とは当寺院の裏の池に、淡水性の細長い殻をもった貝が多数生息していたたため、かの地を「細貝」と呼ぶようになったとのことでした。

 西蓮寺の山号も「法僧可意山」と言い、細貝の地名を仏法に従って書き下したものだそうです。

細貝のルーツ

 これらの例から間違いなく、「細貝姓の発祥」はこの地ではないかと私は確信した次第です。

 そしてやはり、周辺には「細貝」姓の家が固まっていました。

 その何件かも住職のご紹介で訪ねてお話を聞きましたが、結局、自分の祖母の実家(細貝姓)とのつながりはわかりませんでした。
 しかし、住職や当地の細貝さんと話す中で、そもそも細貝という姓自体が希少らしく、以前にもルーツを調べて遠くからも細貝姓の方が何人か訪ねてこられたということでした。

 その中で興味深かったのは、福島県棚倉の方から来られた細貝ゆかりの方がおられたということです。
 陸奥棚倉出身…それで思い当たったのは、当地が江戸時代を通じて浜田藩領であったこと。
 そして幕末、浜田藩密貿易事件(竹島事件)の発覚した、当時の浜田藩主・松平松井家が懲罰転封させられた地が、かの陸奥棚倉だったという事です。

 これは、あくまで推測なのですが、その転封時、何人かの郷士格か陪臣だったかの地の細貝姓の人間が一緒に付き従って棚倉へ移住した…ということではないでしょうか?
 私の知る限り、転封の多かった大名家は少数の中核家臣団以外、転封地で現地の郷士や武士格の人を現地支配を円滑に進めるために、下級藩士や陪臣に採用することがよくあったというので(再度転封時には残るか残らないかは自由に決めれたようです)、かなりその可能性は強いと思いますが…。

============(引用終わり)

 西蓮寺と浜田藩との関係を考えれば、十分に考えられることですね。

 この件について、他に情報をお持ちの方があれば、是非教えてください。

(2007年5月)

 

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