戦国の石見を探る……邑南町の城跡や史跡を紹介

島根県邑南町(旧 石見町、瑞穂町、羽須美村)の城跡や史跡・遺跡を紹介しています  

管理人の覚え書き

 ここでは、当サイト管理人の城跡訪問の余談や、覚え書きなどを記しています。

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◆赤馬滝の伝説

赤馬滝邑南町布施地区にある名勝・赤馬滝。20mの高さからの見事な落水に見とれる癒しの名所です。
その名前の由来となった伝説には、悲しい悲しい物語がありました。
それは当然、馬にまつわる話だろうと思っていたら、違いました。
(2015年3月)

 

◆郡山城の真実

郡山城の真実旧石見町発行の冊子にも紹介されていた郡山城の場所は、どうも違うことが分かってきました。
削平地や土塁と思われていたものは鉄穴流しによって破壊を受けた跡であり、本当の郡山城は別の山に存在し、そこには主郭と思われる削平地や竪堀が残っていました。
(2015年3月)

 

◆二ツ山城の古い郭群と永明寺集落

二つ山城の古い郭群二ツ山城は貞応2年(1223)に築城と伝えられるほど歴史の古い山城跡ですが、現在二ツ山山頂に見られる城跡は戦国期の形を残しています。ところが、南に延びる尾根筋には古い時代のものと思われる郭群があります。
城主の居館があったと思われる永明寺地区と合わせて紹介しましょう。
(2015年2月)

 

◆尼子陣所跡 (美郷町)

尼子陣所跡(都賀)美郷町都賀西は江川の重要な渡河地点で、その西岸に設けられた陣所跡です。天文10年(1541)に毛利を攻めた尼子氏が撤退する際、敗走兵の集結地として利用されました。その後、尼子攻めに大内氏や毛利氏も使用したと思われます。
(2015年1月)

 

◆正宗十哲の一人・出羽直綱の碑跡

出羽直綱の石碑古くから石見地方・邑南町一帯はたたら製鉄が盛んに行われ、特に「出羽鋼」と称する鋼は鎌倉・南北朝時代より全国的にも有名な勝れた鋼だったと言われます。
その出羽鋼を求めて、かの名刀工・正宗の弟子が住み着いた場所があります。
(2014年12月)

 

◆荘園「久永の庄」と天蔵寺原遺跡

久永の庄平安時代から鎌倉時代にかけ、邑南町内のかなり広範囲は「久永庄」と呼ばれる荘園でした。その実態については資料に乏しく謎めいているのですが、平成11年の井原地区天蔵寺・寺の前遺跡の発掘調査により、久永庄最盛期に、かなり大規模な官衙的集落が存在したことが判明しました。
(2014年9月)

 

◆NHK特集『寺が消える』その後

NHK特集「寺が消える」昭和63年に、NHK特集『寺が消える』という番組が全国放送されました。舞台は邑智郡川本町を中心とした、浄土真宗寺院の荒廃した状況を伝える内容でした。そこで紹介された寺院について、その後どうなっているのか、実際に訪問してみました。
(2014年5月)

 

◆石見の恩人「芋代官」こと井戸正明の石碑

井戸正明邑南町の各地に建てられた石碑の中でも、特に目につくのが芋塚と呼ばれる「井戸正明代官の顕彰碑」です。多くが「井戸君」「井戸正明君」と刻まれ、江戸時代に石見銀山領の代官を努めた井戸平左衛門正明の功績を讃える石碑なのです。
(2014年2月)

 

◆出羽氏最後の決戦の地・馬野原

馬野原旧瑞穂町の馬野原地区は、二ツ山城の裏手にある谷間の集落で、出羽氏に関連する伝承地がいくつか存在します。特に、阿須那の高橋氏と出羽氏が最後の決戦をしたと言い伝えられる「古戦場橋」、また城主の別宅地といわれる「四ツ土居」など興味深いです。
(2012年9月)

 

◆石室に簡単に入れる割田古墳

割田古墳中野の森実地区にある円墳「割田古墳」は、昭和44年に発掘調査されて以来、横穴式石室は開口してあり、簡単に入ることができます。少々不気味ではありますが、是非訪問してもらいたい古墳です。
(2012年9月)

 

◆余勢城の処刑場? 段原「ドウショウ坂」の首切塚

ドウショウ坂中野の段原地区には「ドウショウ坂」と「首切塚の大杉」という、とんでもなく恐ろしいスポットが存在します。伝承によると、余勢城の罪人処刑場だったとも、毛利軍に破れた余勢城の敗残兵が殺された場所とも伝えられ、その墓が今も残っているのだとか……。
(2012年4月)

 

◆奇跡の発見・中野仮屋の銅鐸出土

銅鐸出土地中野の仮屋地区の丘にて、大正3年、偶然にも銅鐸2個が発見されました。現在、その銅鐸は東京国立博物館収蔵となっており、邑南町ではレプリカしか拝めません。発見現場には平成3年に記念碑が建てられましたから、ご案内致しましょう。
(2011年8月)

 

◆小倉宮の滞在伝説がある邑南町後原の「院の馬場」

小倉宮室町時代、南朝の系統に属した宮家である潜龍院後小倉宮が邑南町後原に滞在されたという伝承が石見町誌に掲載されています。その伝承の地「院の馬場」とは一体どこなのか、確認してみました。
(2010年8月)

 

◆太田道灌の子孫が移り住んだ地・石見

太田道灌江戸城を築いたことで有名な室町時代の武将・太田道灌。その孫である太田道杉が豊臣秀吉の朝鮮出兵に従軍した後、邑南町矢上に移り住んだという話があります。実際に道杉の墓が残っているので、その歴史と共に紹介しましょう。
(2010年8月)

 

◆戦時中の矢上鉱山と原山監視所跡、さらにタタラ

原山監視所 第二次世界大戦中、矢上には雲母の採掘を行った「矢上鉱山」が存在しました。また、原山山頂には日本軍の監視所が作られ、中国山脈や遠く日本海に飛来する敵の飛行機を発見する役割を担いました。その他、戦争中で物資の少なかった時の資源確保にタタラが復活した話など。(2010年6月)

 

 

◆邑南町(旧石見町)の廃村「今原」地区と長円寺跡

今原昭和48年に廃村となった邑南町日和にある「今原」地区の今を紹介しましょう。旧石見町内では最高の高所にある盆地で、鎌倉時代以降福屋氏が支配し、熊ケ峠城の兵站地としても使われたと伝えられます。
(2010年3月)

 

◆口羽通良の墓がある宗林寺

口羽通良 宗林寺旧羽須美村口羽にある宗林寺は、琵琶甲城主・口羽通良の墓があり、かつて口羽氏の館があった場所と伝えられます。たまたま寺で歴史に詳しい翁と出会い、案内してもらいました。
(2010年3月)

 

◆久喜・大林銀山跡…今、邑南町で最も熱い歴史スポット

 世界遺産登録された石見銀山の人気に便乗して、邑南町久喜にある「久喜銀山」がにわかに人気歴史スポットになっています。明治には坑夫など2000人が住んだ巨大鉱山で、その跡地も整備され訪問しやすくなっています。
(2010年3月)

 

◆石州街道の石畳が残る市木・小武家城地区

石州街道 石畳浜田と広島の城下町を結ぶ総延長125キロメートルの江戸時代の街道『石州街道』が邑南町の市木地区を通り三坂峠を越えていました。今でも当時の石畳が良好に残っており、訪問することができます。
(2010年3月)

 

◆日本城郭体系にある旧羽須美村「青野城」の謎

青野城『日本城郭体系』の島根・鳥取版には、邑南町(旧羽須美村)の上田江平地区に「青野城」が存在したことが説明されています。
 しかし、この青野城について調べると謎が多く、地元の人すら存在を知りません。そこで、県の依頼で山城調査を行われた専門の方に聞いてみました。
(2009年8月)

 

◆邑南町(旧石見町)の廃村「八幡」「牛ノ市」へ行ってみよう

八幡「牛ノ市」は、旧石見町内で昭和48年に廃村となってしまった地区です。しかし、歴史上では、豊臣秀吉の朝鮮出兵で功績があった小林房辰が「牛ノ市城」を築いた土地。
 また、断魚渓を通る幹線が通じる前は、旧石見町から江川流域に出る交通の要所としてにぎわいをみせた地区でもあります。
 一度は行ってみたい場所だったので、車で行けるかどうか試してみました。
(2008年12月)

 

◆佐々木高綱の黄櫨匂威大鎧残闕が眠る甘南備寺

甘南備寺川本町三原の丸山城を見学したら、ついでに訪れたい「甘南備寺(かんなみじ)」。ここは高野山真言宗の寺で、開基は奈良時代の行基と相当古い歴史を持ちます。
しかもこの寺は、川本温湯城の落城後、小笠原長雄が幽閉された寺でもあり、小笠原家に関係するお宝が数多く眠っているのです。
特に、宇治川の合戦の先陣争いで有名な佐々木高綱が使用したと言われ、現在国指定重要文化財となっている「黄櫨匂威大鎧残闕(はじにおいおどしおおよろいざんけつ)」が保存されているというので、見に行かない訳にはいきません。
(2008年7月)

 

◆川本・温湯城の登城 覚え書き

川本町会下の温湯城跡を登山した時の、登山道などの覚え書きです。参考にして下さい。
(2008年7月)

 

◆高橋興光の切腹の地が、キャンプ場ってどうよ?

高橋興光 腹切り岩阿須那の藤掛城主・高橋興光は、毛利元就の謀略により同族の高橋盛光によって誅殺されました。
その興光が切腹したと言われる場所に「腹切り岩」があるのですが、何と軍原キャンプ場という施設のど真ん中に存在しています 。
テントで寝泊まりする場所に、まるで怨霊が出てきそうなスポットが……わざわざキャンプ場にしたのも、それを狙ってのことかもしれません。
(2008年7月)

 

◆口羽通良が創建の「西蓮寺」 山門は「石見三門」の一つ

西蓮寺邑南町羽須美地区の阿須那まで来れば、立ち寄っておきたい歴史スポット「西蓮寺」があります。
西蓮寺は、口羽の琵琶甲城主・口羽通良が創建。その山門は「石見三門」の一つに数えられるほど豪華な造りをしています。
(2007年)

 

◆亀井亜紀子氏当選の裏にある、津和野藩と邑南町の意外な関係

亀井平成19年(2007年)の参議院選挙。島根県選挙区では、自民党前職の景山俊太郎を、国民新党新人の亀井亜紀子が破って初当選しました。ここで説明するまでもなく、亀井久興、亀井亜紀子氏は、津和野藩主の家柄の出です。
その津和野藩亀井家と、邑南町(旧石見町)日貫地区は、実に深い関係がありました。それが平成時代の選挙に大きく影響しようとは……。
(2007年)

 

◆『多胡左衛門尉辰敬』の著者に会いたい

図書館でたまたま見つけた『多胡左衛門尉辰敬 石見の戦国武将』という本があります。
多胡辰敬と言えば、『多胡辰敬家訓』で有名な尼子の家臣ですが、何と邑南町(旧石見町)の出身武将でありました。その多胡辰敬の一生について、『石見誌』や伝承を元に、かなり詳しく解説されている貴重な本です。
この本を著わされたのが、後原地区の笠森惣市さんと言われる方。笠森家の前には、先祖伝来を記した石碑が存在するなど、かなり「歴史マニア」であられるようです。これは何としてもお会いせねば!
(2007年9月)

 

◆陸の孤島・日貫青笹上地区と鳴滝訪問

日貫 青笹上雪が降れば、完全に陸の孤島です。
そんな場所は、邑南町内のいたるところに存在しますが、この邑南町日貫の青笹上地区も半端じゃありませんでした。
畑仕事をしているお婆さん曰く「昔は青笹が一番栄えていた」
……何が根拠なのでしょうか。全く分かりませんが、田舎情緒あふれる青笹地区を紹介しましょう 。
(2007年6月)

 

以下、未整理写真

◆邑南町郷土館 展示物(古代〜中世)

◆邑南町郷土館 展示物(江戸時代〜/久喜・大林銀山関連)

◆出羽代官所跡・浄林寺

◆旧山崎家住宅(日貫)

◆一本木峠(矢上〜鱒渕)

◆未調査のメモ

 

邑南町の城|中世・戦国の石見

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