史跡訪問日記・覚え書き
ここでは、当サイト管理人の城跡訪問の余談や、覚え書きなどを記しています。
川本町三原の丸山城を見学したら、ついでに訪れたい「甘南備寺(かんなみじ)」。ここは高野山真言宗の寺で、開基は奈良時代の行基と相当古い歴史を持ちます。
しかもこの寺は、川本温湯城の落城後、小笠原長雄が幽閉された寺でもあり、小笠原家に関係するお宝が数多く眠っているのです。
特に、宇治川の合戦の先陣争いで有名な佐々木高綱が使用したと言われ、現在国指定重要文化財となっている「黄櫨匂威大鎧残闕(はじにおいおどしおおよろいざんけつ)」が保存されているというので、見に行かない訳にはいきません。
(2008年7月)
川本町会下の温湯城跡を登山した時の、登山道などの覚え書きです。参考にして下さい。
(2008年7月)
阿須那の藤掛城主・高橋興光は、毛利元就の謀略により同族の高橋盛光によって誅殺されました。
その興光が切腹したと言われる場所に「腹切り岩」があるのですが、何と軍原キャンプ場という施設のど真ん中に存在しています
。
テントで寝泊まりする場所に、まるで怨霊が出てきそうなスポットが……わざわざキャンプ場にしたのも、それを狙ってのことかもしれません。
(2008年7月)
図書館でたまたま見つけた『多胡左衛門尉辰敬 石見の戦国武将』という本があります。
多胡辰敬と言えば、『多胡辰敬家訓』で有名な尼子の家臣ですが、何と邑南町(旧石見町)の出身武将でありました。その多胡辰敬の一生について、『石見誌』や伝承を元に、かなり詳しく解説されている貴重な本です。
この本を著わされたのが、後原地区の笠森惣市さんと言われる方。笠森家の前には、先祖伝来を記した石碑が存在するなど、かなり「歴史マニア」であられるようです。これは何としてもお会いせねば!
(2007年9月)
雪が降れば、完全に陸の孤島です。
そんな場所は、邑南町内のいたるところに存在しますが、この邑南町日貫の青笹上地区も半端じゃありませんでした。
畑仕事をしているお婆さん曰く「昔は青笹が一番栄えていた」
……何が根拠なのでしょうか。全く分かりませんが、田舎情緒あふれる青笹地区を紹介しましょう
。
(2007年6月)
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