戦国の石見を探る……邑南町の城跡や史跡を紹介

島根県邑南町(旧 石見町、瑞穂町、羽須美村)の城跡や史跡・遺跡を紹介しています  

邑南町の歴史めぐり

 島根県邑南町の城跡に限らず、知られざる歴史舞台、遺跡を紹介していくコーナーです。

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◆久喜・大林銀山跡……今、邑南町で最も熱い歴史スポット(岩屋地区編)

久喜地区編大林地区編
 この地域一帯の銀鉱脈の開発は、この岩屋地区から始まったと考えられています。
『大志茂家文書』には建久年間(1190年頃)に鉱脈が見つかったとあり、更に永禄3年(1560)岩屋温泉蒼で新鉱脈が見つかり大いに賑わったと書かれてあります。
 その文献の通り、岩屋地区には大規模な露頭掘跡や樋押掘跡が遺されています。その後、久喜で大横谷の大鉱脈が発見されると、採掘の中心は岩屋から久喜・大林に移ります。
 加えて言えば、江戸時代は銀山地域は幕府の直轄(天領)でしたが、この岩屋地区は浜田領であり天領になっていないことから、ここでの採掘は戦国末期に終わっていたと思われます。
 久喜銀山は明治時代に閉山しますが、この岩屋では昭和26年「久喜鉱業所」によって再開発が行われ、昭和時代の間歩が遺されていますが、金属価格の暴落により昭和30年に中止となりました。

 ちなみに、露頭掘(ろとうぼり)とは、最も古い採掘法で、地表に露出した鉱脈をそのまま採掘するもの。
 樋押掘(ひおしぼり)は、鉱脈を追って地下を深く掘り下げていく方法。露頭よりも多く採掘できますが、地下水が湧くと作業ができなくなります。
 そこで、鉱脈を目指して水平方向にトンネルを掘り進めたのが「水平坑道」で、湧き水が出ても排水させることができます。この樋押掘跡や水平坑道を「間歩」と呼びます。

岩屋間歩群入口
岩屋間歩群への入り口(地図
間歩までは歩いて5分もかかりません。

岩屋の銀山 案内板
案内板

鉱石積出場
鉱石積出場の石垣

機械
道ばたに何か転がってますが、昭和時代のものでしょうか

岩屋間歩
岩屋間歩
打ち通間歩・路頭掘と水抜き間歩、の説明があります

昭和間歩
巨大な「昭和間歩」

昭和間歩 岩肌
間歩入り口で岩肌がむき出しで迫力満点

昭和間歩 内部
昭和間歩の中。かなり奥まで続いています。

昭和間歩 レール
トロッコ用の線路がそのまま残っています。

送風機械室跡
送風機械室のエンジンとコンプレッサーが残っています
被っていた機械小屋は無くなっています。

コンプレッサー
送風のためのコンプレッサー

ディーゼルエンジン
コンプレッサーを回すディーゼルエンジン

久喜銀山エンジン
昭和20年代を感じさせるエンジンです。

起動パネル
操作パネルの文字が読めます

ドラム缶
おそらく重油を入れていたであろうドラム缶

久喜銀山 岩屋エリア
右が機械室跡、左が昭和間歩

作業場?
更に奥には石垣が。鉱石積出場か作業場の跡でしょう。

平坦地
石垣の上は平坦地になっています。


 昭和46年の航空写真
(国土地理院国土画像閲覧システムより)


昭和51年の航空写真
この頃はまだ送風機械室は残っていた模様

赤子渕と露頭掘群
県道を更に南に走ると、赤子渕と露頭掘群があります(地図
最初に銀鉱脈が発見され、久喜銀山開発の契機になった場所といわれます。

赤子渕と露頭掘群案内板
案内板

赤子渕
赤子渕

露頭掘
露頭掘の跡

坑口
更に周囲にはいくつもの坑口が存在します。

 ※参考……久喜大林・銀山の里散策マップパンフレット(瑞穂文化研究会)
      「石見の銀山」のなかの 『久喜・大林銀山』(いわみの種) 共に吉川正氏による。

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(2015年3月)

 

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邑南町の城|中世・戦国の石見

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