戦国の石見を探る……邑南町の城跡や史跡を紹介

島根県邑南町(旧 石見町、瑞穂町、羽須美村)の城跡や史跡・遺跡を紹介しています  

邑南町の名所案内

 ここでは、島根県邑南町内にある歴史スポットや名所を紹介しています。

 ※写真が表示されない場合は、ページの再読み込み(リロード)してみてください。

 

◆消え行く鉄路・三江線の歴史

 残念ながら平成28年9月1日、JR西日本が三江線の廃止を正式に表明しました。
 邑南町には三江線の駅が4駅もあり、地元として非常に悲しい思いが致しますが、現状を見る限り、仕方が無いことだとは思います。

 ともあれ、語らねばなるまい、邑南町における、三江線の歴史を。

川平駅(三江線)
JR三江線(川平駅)

 この邑智郡に、鉄道建設の話が持ち上がったのは明治30年のことでしたが、その時は鉄道省が下見に来て「こんな山奥は地形上無理だね」で終わりました。
 三江線の建設計画が正式に動き出したのは大正に入ってからで、江津駅ができたのは大正9年。三江線建設の決定は昭和3年で、江津駅で起工式が行われました。
 当初の計画は「三次ー江津間の109kmを10年で建設」でした。
 ところが、様々な障害により工事は進まず、川平駅が昭和5年、川越駅が昭和6年、因原・川本駅は昭和9年、そして浜原駅は昭和12年に開業。
 広島三次側は、式敷まで工事は終わったものレールは敷かれず、本来の計画では浜原駅と当時に口羽駅開業の予定でしたが、うまくいきませんでした。
 その大きな理由として、戦争がありました。
 三次ー式敷間に使われる予定だったレールは、すべて砲弾用として国に持っていかれました。
 本当は、昭和14年に全線開通だったのに……太平洋戦争はこんなところにも影響していたのです。

因原駅(昭和28年)
昭和28年の因原駅
木材景気から多くの丸太が積まれている

 敗戦後は、国内の混乱で鉄道建設どころではありません。
 ところが……
 昭和21年、呉市駐留のアメリカ軍人が視察に川本町へジープでやって来ます。
 ただ、自動車で広島へ帰るのは道が悪く大変なので、鉄道で帰ろうとしましたが、当然ながら三江線の浜原駅から三次方面は開通していません。
 「この短い距離すら全通できない日本では、戦争に負けるのは当たり前だ」と笑う米軍人に地元の人は惨めな思いをしながらも、「だったら全通させようじゃないか!』と三江線の意識が高まりました。

 戦後混乱の中にあっても、昭和21年に「三江線全通促進期成同盟会」が発足。同盟会は広島鉄道局や国会、政府に陳情するも相手にしてもらえません。
 そこでGHQに乗り込み「三江線は島根・広島両県民の福祉に役立つから早期全通が望ましい」と、マウサート中佐から陳述書に副申を添付してもらい、運輸大臣に陳情。
 早くも昭和23年には早期全通を島根県議会は決議し、昭和27年には鉄道審議会で「昭和34年に三次ー浜原間の工事を完了し三江線を全通させる」と決定されました。
 昭和28年に三次側の工事が再開し、昭和30年4月には式敷まで開通し、流れは順調と思われました。

口羽駅(昭和38年)
昭和38年、開業直前の口羽駅にSLが来た

 しかし、またしても難題が持ち上がります。

 同じ年、通産省と電源開発会社から、江の川のダム建設の話しが持ち上がります。
 内容は「大和村(現美郷町)高梨に高さ94mのダムを建設し、最大出力9万ワットの発電所を設ける。それにより上流の700戸の世帯が水没する」というものでした。
 当然ながら、三江線の予定路線も水没するので、工事は設計からやり直しとなります。

 当時、朝鮮戦争を契機に日本の工業は急速に発達し、明らかに電源開発が国家的急務でした。
 島根県としては、三江線設置を優先と考えていたのでダム建設に反対しましたが、通産省や経済企画庁は「鉄道工事計画を変更してでも、電源開発を進める」という強気でいました。
 まあ、それほど電気不足だった訳です。
 そもそも鉄道どころか口羽の集落すら水没するという危機感から反対運動は高まりますが、昭和32年、経済企画庁は「三江線の路線を変更し、高梨ダムは予定通り建設」の方針を再び明らかにします。
 島根県、羽須美村としては「ダム絶対反対」と岸首相などに陳情しますが、国鉄は三江線の工事をストップ。
 工事停止に驚いた羽須美村民は、昭和33年8月に運輸大臣が訪問するのに合わせて口羽中学校にて島根県知事や県議を招いて三千人規模のダム反対県民大会を開催。
 ところがダム賛成派も出てきて、怒号が飛ぶ中、大混乱で大会は終わります。
 先行き不安の中、村人たちは無気力となり、悶々とした日々が続きました。

 ところが、これほど混乱したにも関わらず、昭和34年10月、電力会社が「高梨ダム建設に共なう鉄道路線のかさ上げはコスト高となり、ダム建設は中止」を発表、12月には従来通りの三江線建設が閣議決定されました。
 めでたしめでたし…とはいえ、4年以上も続いた、ダム建設による混乱で、三江線の工事は遅れ、それどころか、その間水没予定地域の将来設計が全く進まず、他の地区よりも発展が遅れてしまったという指摘すらあります。

 さて、昭和35年10月より江平ー口羽間の工事が再開。
 そして昭和38年6月30日、ついに口羽駅が開業となり、祝賀式で村はお祭り騒ぎとなりました。

三江線全通記念
昭和50年全通時の口羽駅

 ところで、ここで三江南線から、三江北線の話題に戻ります。
 江津から浜原まで順調に通じたように思いますが、実はそうでもありませんでした。
 三江線は当初、石見簗瀬、明塚を通って滝原に出る計画になっていました。つまり、江の川に鉄橋を架けてまで粕淵に通す予定ではなかったのです。(下の地図参照)
 そこで粕淵、浜原地区が路線変更の陳情を始めます。
 裏話では、粕淵村婦人会などから代議士夫人に熱烈な陳情がなされ、更にその代議士夫人から当時の鉄道大臣夫人に地元の熱意が伝えられ、遂に大臣を動かした、というエピソードがあるのですが、何とも黒歴史的雰囲気があります。
 これで面白くないのは滝原・信喜地区の人たちです。
 追い打ちをかけるように浜原ダム建設の話も持ち上がり、ここは何としても浜原から滝原、信喜へ三江線を通さねばならなぬと、浜原村を中心に運動を展開します。
 しかし、粕淵と沢谷地区が連携して沢谷駅設置への運動を推進します。
 こうなりなりますと、粕淵村、浜原村との対立が勃発し、壮烈な争いが展開されました。
 三江線のルートで争っている間に、浜原ダム建設が進み、滝原・信喜へ通す運動は負けてしまいます。
三江線が、唯一といっていいほど江の川から大きく外れるルートをここで取っているのは、このような政治的地域的歴史があったからなのですね。


 さて、すったもんだがありましたが、口羽駅は昭和38年6月30日に晴れて開業となり、羽須美村は祝賀行事で湧きに湧きました。
 続いて口羽ー浜原間の建設は、日本鉄道建設公団によって行われ、江津ー浜原間・三次ー口羽間とは違い、コンクリート橋やトンネルなどを多用して高速運転できる設計となりました。
 少々田舎には似合わない高架路線になっているのはこのためです。
 全線開通時には、その様相から「三江新幹線」と報道した新聞もあったほどです。

 そして昭和50年8月31日、三江線は全線開通。
 明治時代に計画があがってより、実に父祖三代にも及ぶ三江線建設の歴史となりました。

 しかし、時代の流れに逆らうことはできず、国鉄の経営はおもわしくなく、昭和55年には「国鉄再建特別措置法」が成立、赤字路線の基準が決められ昭和60年までには70路線を越える鉄道を廃止する方針が打ち出されました。
 当然ながら三江線もこれに含まれ、さすがに全線開通してまもない路線が廃止対象となることは地元民にとって承服できるものではなく、はや廃止反対運動が展開されることになりました。
 政府としては「鉄道に代わる道路の整備がない」「100km以上の路線」「2つの県にまたがる」という条件を持てば除外するとし、とりあえず三江線は廃止危機を逃れましたが、さてさて沿線地域のモータリゼーションと過疎高齢化の波は激しく、鉄道活性化の道は思うようには進みませんでした。

宇都井駅
「天空の駅」と呼ばれてファンも多い宇都井駅

 加えて、江の川を沿って走るという地形上、水害を度々受けることになります。
 古くは昭和47年の水害で粕淵の鉄橋が流され、野井に仮乗降場が設けられ、そこから乗客は舟で粕淵に渡ったということがありました。
 鹿賀駅や川平駅などには「水害の跡」という標識を今でも見る事ができます。
 最近では平成18年の水害でほぼ1年間の運休があり、また平成25年の水害では因原の井原川橋梁が流され、再び1年近くの運休がありました。

昭和47年水害 川戸
昭和47年水害時の川戸

野井仮乗降場
野井仮乗降場

 このような災害のリスクが高いことと、沿線の過疎高齢化による乗客の激減などから、平成28年9月、JR西日本の正式な廃止表明がなされました。
 田舎から人が消え、学校が消え、集落が消えて行く。その状況で鉄道だけは残せ、と言っても通らない話だと思っています。鉄道存続に捕われることなく、この地域に適した交通システムを構築することには賛成ですが、この邑智郡から汽笛の音が聞こえなくなる日が訪れるとは、とても寂しい思いが致します。

(2016年9月:参考資料:川本町誌・邑智町誌・羽須美村誌:古写真は『石見の百年』より引用)

 

 >> ぶらり三江線web
 >> 石見川本鉄道研究会
 >> マンガ「三江線クルーズ」(LINEマンガ)
 >> 史跡訪問日記:一覧へ

邑南町の城|中世・戦国の石見

inserted by FC2 system