島根県川本町の城跡
このページでは、邑南町から一歩外に飛び出して、川本町などに存在する城跡を紹介しています。
温湯城(川本町会下)
小笠原氏の居城。南北朝時代、小笠原長胤が武家方として戦功を挙げ、温湯城を築いたと言われます(地図)。文和3年(1354)には足利直冬によって攻撃を受けています。
小笠原氏は一時は石見銀山を制圧する程の勢力を持っていましたが、永禄2年(1559)、毛利軍によって温湯城は包囲されます。この時、毛利は温湯城の東に接する山に陣城(会下山城)を築きます。城主・小笠原長雄は尼子の援軍を頼みにしていましたが、江川の増水によってそれもかなわず、同年7月に降伏。長雄は甘南備寺に隠居させられ、嫡男長旌が三原の丸山城に入りました。
>> 川本温湯城 写真集(夏:主郭・櫓台など)
>> 川本温湯城 写真集(春:石垣・堀切など)
丸山城(川本町三原)
温湯城落城後、毛利に属することとなった小笠原長旌が天正13年に完成させた山城です(地図)。
この地域にはめずらしく、重厚な石垣が組まれている城で、長旌の小笠原氏挽回の熱意を感じさせます。
しかし、家督問題が起こり、文禄元年(1592)に小笠原氏は出雲神西に移封を命じられ、丸山城は廃城となります。戦乱に巻き込まれることなく、10年足らずの命でした。
城跡は子供用の公園として整備され、山頂付近まで自動車で行くことができますが、最近公園が利用されない為が荒れ放題です。1991年には川本町による発掘調査が行なわれています。
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